*⁂*乳がんと私-病が導いた本当に望む「人生」との出会い-*⁂*

乳がんを宣告されて今年で6年目。看護師である私の闘病体験を通して、自分らしさや女性としての生き方について考える時間を提供します。

あっさり乳がんの確定診断を受けてから形成外科医に「禁煙脅迫」を受けるまで

みなさん、こんにちは。
miraiです。

 

前回まで、確定診断に向けた検査と治療法の選択をした時のお話をしました。

empowerme.hatenablog.com

 

今回は、確定診断を正式に受け、手術を受けるまでの経験を共有します。

 

私は、紹介先の病院で最初に診察に当たって下さった肺が専門の医師から

最終的に主治医となる医師に紹介され、ここでも再度細胞診を行う事になりました。

要するに2回細胞診を行ったのです。

一応、「〇〇先生にもして頂きましたが、また行うのですか?」

と率直に質問したところ、

「私が主治医になるので、自分が確信を持てる方法で確認したい」

と言われ、拒否する訳にもいきませんでした。

 

細胞診について、詳しく触れていなかったので少し説明しようかな、と思います。

本来、乳がんの確定診断には「細胞診」と「組織診」という侵襲型の検査があります。

「細胞診」は細い針で細胞を採取するか乳頭からの分泌物から細胞を採取し、

染色する検査方法で、細胞診に使用する針は細いので麻酔をしない事が多いそうです。

一方、「組織診」は、検査する病変部の一定の範囲(組織)を採取して検査する方法

で、細胞診より太い針を使用するため、穿刺部位周辺に局所麻酔を使用します。

乳房のしこりの部位をエコーで確認しながら、針を直接その病変部に刺し、

組織を採取します。その際に、マンモグラフィも併用して部位を確認する医師が多いと

思います。細胞診に比べ、検査結果の精度が上がると言われています。

 

参考リンク:

www.devicormedicaljapan.jp

 

ですので、私がこの記事で「細胞診」と呼んでいたものは、本当は「組織診」でした。

私の場合は2回組織診を受けた事になりますが、

両医師とも検査制度の高さを重視したいと言っていました。

 

この組織診の方法は3種類あるそうです。
一つは吸引式で、その名の通り吸引力を利用して組織を採取します。

2種類目は「コア針生検」と言い、バネの力を利用して組織を採取する方法です。

私は、この「コア針生検」の手法で検査がされました。

「バチッ」と衝撃がありますが、局所麻酔も効いていたため痛みより受ける衝撃の方が

大きかったかな・・という感じでした。

検査後の出血などの合併症もなく検査結果が出る頃に再診の予約をして帰りました。

3種類目は上記の2種類でも確定診断が出来なかった時に行う「外科的生検」と言っ

て、メスでしこりの組織を大きく採取する方法です。最近では、侵襲の大きいこの手法

を取る事が少なくなっているそうです。

 

最後に生検をしてから2週間後に再び病院を訪ねました。

結果は「悪性」。

推定の大きさは8mmで画像上の転移は見つからないため「ステージ0」だろう、

と医師は言った後、「腋窩リンパへの転移や手術後の精密な検査の結果を見てから

ステージングは明確になります」と説明を加えました。

 

確定診断の宣告はあっさり。

まあ、今までさんざん「悪性の可能性ありき」で検査を進めて来ましたので、

それはいいのです。そして、直ぐ手術日と術前検査の予約を矢継ぎ早に進めて

行く事になりました。

その中に、形成外科の受診が含まれていました。

どうやら乳房再建術は形成外科の領域に当たる様なのです。

乳房再建術専門の女性の医師が定期的に外部の病院から通ってきているらしく、

その診察日に合わせて確定診断を聞く再診日が設定されていました。


形成外科の受診では、乳房再建術の術式と術後の過ごし方について詳しく説明を受けま 

す。切除術の後に挿入するエキスパンダーという乳房内の空間を維持しておくための水

風船の大きさを決めたり、合併症を防ぐために大切な事などもしっかり説明を受けるの

ですが、その際、医師(女性)が一枚の紙を目の前に出し、

「喫煙についてお話します」と言って、急に怖い顔になりました。

 

「あなたは喫煙者ですね?」

と切り出した後、「手術まで1ヶ月ほどあります。それまでに確実に禁煙をして

下さい。全身麻酔の合併症の確率も上がりますし、

術後の皮膚の治癒にも大きく影響します。

喫煙者の術後の皮膚の治りの成績は悪い、という統計結果が出ていて、

私の経験上もそうです。

術前までに禁煙が出来ていない場合は、容赦なく手術を中止する場合がありますので、

禁煙を約束して下さい。」

 

・・・。

すごい怖い口調で、一気に説明をしたその女性医師。

私は、若干あっけに取られ、「はい、分かりました」と返事はしたものの、

多分顔がひきつっていたと思います。

「何か、脅迫みたい・・」と感じました。

 

当時、喫煙者だった私。

新卒で病院勤務を始めてから本格的に喫煙を始めたので、

かれこれ20年以上の喫煙歴・・。

そんなにヘビーに吸っていたわけではないのですが(1日3本から5本くらい)、

まあ、長年の喫煙者である事には変わりありませんでした。

しかも今まで「禁煙しないといけないかな」とか「禁煙出来るかな」・・

などとに禁煙について殆ど考えた事がなかったのです。

 

その日は、手術日も決定し、形成外科の激しい診察も終え、術前検査をほぼ完遂し、

後はもう一つ造影剤を使用した画像検査と麻酔科の診察が残っているので、

もう1回手術前に病院に来ないといけない・・との事。

今まで、麻酔科の診察は手術前日にする事が多い病院に勤めていたので、

「入院日ではないんですね?」と聞いた所、

その病院では術前検査で行った生理検査などの結果を踏まえて

麻酔の同意書を事前に取る事になっている・・と説明を受けました。

 

「麻酔科の診察で、またタバコの事、言われるんだろうな・・」

と思いながらその日は自宅への帰路につきました。

 

当時の私にとってタバコは一種の精神安定剤的な働きが大きかった訳です。

ガンを宣告された事、その後の治療の事、仕事の事、これからの人生の事・・

こうした精神的な圧迫を和らげる為に必要なタバコやお酒だってあります。

 

結論、当時の私は禁煙が出来ず(笑)そのまま手術を受けるに至りました。

この、タバコと手術・健康との関係については、

次回のブログでもうちょっと深堀してみたいな、と思います。

 

もしかしたら、同じ境遇で治療を控えている方もいるかもしれませんものね。

 

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乳がんの確定診断から治療法を選択するまでの記憶

みなさん、こんにちは!

miraiです。

 

今日はどの様な気分で過ごしておられますか?

 

今回は「確定診断を受けるまでの過程と治療方針を決めるまで」

について私の経験を皆さんに共有したいと思います。

 

前回は、私が右乳房にしこりを発見して、

病院で最初に「がんの可能性」を示唆された過程までを綴りました。

empowerme.hatenablog.com

 

改めて私のその時の心中は・・半分パニックで、半分とても冷静でした。

当時は仕事に対する情熱が強かったので、

その好きな仕事を失う事への恐怖の方が、生命への危機より大きかったのです。

しかも、当時の自分には根拠のない自信があり、

どの様な状態の病気でも克服できると信じていました。

 

紹介された都内の大病院で、次々に検査を行いました。

血液検査(ガンの酵素を調べる)、エコー、マンモグフィ、造影MRIとCT、

そして細胞診、PET・・。

紹介先の先生は胸部外科の中でも肺を専門とする先生でしたが、

親身に検査結果を読んで下さいました。

 

「細胞診の結果が出るまで悪性腫瘍かどうかは分かりませんが、

画像の特徴からすると‟悪いもの”である可能性は高いと見ています。

ただし、腫瘍が1cm未満と非常に小さく、

他の検査では今の所他に転移などしている所見はありません。

ステージ0という初期中の初期です。」

 

「これが、悪性である事を前提に今後の治療についてお話します。

 

まず、細胞診の結果で何を見るかと言うと、悪性であるかないかだけでなく、

がん細胞の種類を調べます。

細胞がエストロゲンホルモン依存性なのか(Luminal型)、

それとも別の因子で刺激されるタイプなのか(HER2型)、

それらの混合であるか、またそれらのいずれのタイプの細胞も持たないのか、です。

それによって、治療法が変わります。

しかし、それは手術後までに分かれば良い事なので、

知識として理解していて下さいね。

 

今の時点で最優先される治療法は、外科手術です。

乳腺切除術ですが、乳頭を温存する部分切除と全切除が選択できます。

部分切除を選択される場合は、放射線や化学療法との併用が推奨されています。

全切除の場合は、細胞の種類や腋窩リンパ節への転移の有無にもよりますが、

ホルモン剤の内服治療だけで済む場合もあります。

miraiさんの場合、非常に小さな浸潤がんと想定されますが、

造影検査の画像を良く見ると、

造影剤がしこりのある部分から細い線で薄く乳頭まで染まっています。

まだ若いですので、再発などのリスクを考えると全切除を選択される方が

生存率が高まります。今は、同時再建術が主流になって来ましたので、

乳房の形を失うことなく全切除する事ができます。

もちろん、温存を希望する事も可能です。

 

手術では、腋窩リンパ節への転移を確認するために迅速細胞検査を行います。

万が一、転移が認められた場合は腋窩リンパも摘出します。」

 

ここまで、穏やかに説明される先生の声を聞いていたら、涙が出て来てしまいました。

私は、既に全切除する事で心を決めていたのですが、

体が変わってしまう事への淋しさや、

それのせいでこの先一生誰とも恋愛出来ないのではないかという不安が入り混じって、

急にこの病気に罹ってしまった事を悲観する気持ちが湧き上がって来ました。

 

そして、ここまで検査を進めて下さった先生は、

「私は専門が肺ですので、この先は乳腺外科の先生にバトンタッチします。

でも、miraiさんの治療チームの中にはいますので安心して下さい。

何か相談事などがあれば、いつでも連絡を下さい。」

と言って、専門医の先生の診察予約を取って下さいました。

 

当時、私が乳腺全切除を迷いなく選択した理由は、

生存率が上がるというだけでなく、長引く治療にコミットできなかったからです。

どうしても、仕事を今までと同じように継続したい、と思っていました。

もちろん、この段階で、外科手術と内服治療だけで行ける・・

とは分かってはいませんでしたが。

 

今、このブログを読んで下さっている方々の中には、

まさに治療を選択するという岐路に立っておられる方もいらっしゃると思います。

置かれている境遇も様々で、何を選択するのが正しいのか・・

非常に悩んでいる方も多いと思います。

また、発見時のステージが進んでいたり、

がん細胞のサブタイプにHER2を含んでいたりするなどで

不安を抱えながら過ごしている方も多いかもしれません。

 

魂のレベルで考えれば、我々がするどんな決断にも「誤り」はない、と言います。

こんな事、にわかには信じられないと思いますが・・

女性にとって乳房を無くすという事は、受け入れ難い寂しさと悲しさを

乗り越えなくてはいけません。

ボディーイメージが変容する、という事だけでなく、

「自分」そのものが変わってしまうような恐怖を感じるからです。

 

もちろん、片方の乳房を失った後の私は、以前と同じ私ではありません。

外見の変化がもたらした内面への影響は、私の想像を超えていました。

このお話は、もっと後に詳しく語る事になりますが、

 

それを怖がって「生命」を危険に晒してはいけない、と思います。

だから、どんなに乳房を失って自分が変わってしまっても、

それは私のした判断が「正しい」事を後に証明してくれています。

なぜなら、私はまだ生きているからです!

生きて、自分の人生を楽しむ事が出来ているからです。

 

前述しましたが、今は、乳房同時再建術が一般的になったお陰で、

乳腺切除と同時にお乳の形がもとに近い形で戻るのを最短で叶える事が出来ます。

 

最後に、乳がんと闘う全ての皆さんに向けて、

一つのスピーチを共有して終わりにします。

ケイニー・マクナニー氏をご存知の方はどれ位いますでしょうか?

彼女は代45代目ドナルド・J・トランプアメリカ大統領の報道官として

活躍する女性です。

まだお若い方ですが、乳がん発症リスクの高い遺伝子が発見されたため

予防的乳房切除術を受けた経験を語っています。

 

少しでも、同じ病気と闘う皆さんに勇気を与える事が出来たら嬉しいと思いながら、

今回の記事を閉めたいと思います。

次回は、実際の手術でした体験を共有したいと思います。

 

皆さんがハッピーな毎日を送れますように💛

 

www.youtube.com

私が乳がんを発見した時の話

みなさん、こんにちは。

miraiです。

 

私は、Cancer Survivorとして6年目を迎えました。

今までの経験を皆さんと共有する事に決めて、

このブログを始める事にしました。

始める事を決めたのには、きっかけがありました。

それは、追々皆さんにお伝えしていこうと思っています。

 

この経験を自分の人生の中でどう価値つけるか、

悲しさや孤独をどう克服するか、

これが神様からのギフトの一つという事に気が付くまでに

私自身に起きた事・・。

 

そして、女性として生きる本当の目的って一体何だったのか?

 

本当に本当に色々な事を知るに至る地図を頂いたと感じたので、

もし私の経験がある方々に勇気を与える事が出来たら・・

という思いが沸き上がって来ました。

 

私が経験している全ての事は数珠の様に繋がっています。

このブログはそれを伝えられるような工夫を心がけながら

お伝え出来るようにして行こうと思っています。

 

どうぞ宜しくお願い致します。

 

今日は、記念すべき第1回目。

私がおちちにしこりを見つけて確定診断に行く手前までお伝えします。

どうぞお付き合いくださいませ。

 

私が、一番最初に「あれ?」と思ったのは、今から6年ほど前のある時。

実は、普段から乳がんのセルフチェックなどした事がなかったのだが、

その時はたまたま薄着で寝ていた事もあり、

目が覚めた後、ベッドに横になりながら

何気なく両方の乳房全体を指の腹で押しながら触っていました。

すると、右の胸の下の部分、ちょうど乳輪の下辺りに小さくコリコリと触れる、

感覚的には小豆の大きさのしこりがある事に気が付きました。

 

こういう時って「え、悪いものかなあ・・」とは考えないものです。

不思議ですね。

「私に限ってそんな事にはならないはず」

と根拠もなく楽観視する人が多いと思うのです、私を含めて。

 

参考までに、

「(闘病経験者の中で)まさか自分が乳がんになるとは思っていなかった人の確率」

について調べてみましたが、この統計結果はありませんでした。

機会があれば、調査してみたいですね。

しかしながら、多くのエッセーや闘病記などを見ていると、

ほとんどの人が「まさか私が・・」と思って診断を受けている事が見て取れます。

 

最新のデータでは2018年のデータから、

日本人女性が乳がんを発症する確率は11人に1名という数字が出ていました。

この数字が多いのか少ないのか、と言うより

「自分がこの11人の中の1人かどうか」ですよね・・。

 出典:「乳がんを知ろう」

 

話しを私の経験に戻します。

実は20歳代の若い時に、生理前になると乳房全体がゴリゴリに張って来て、

当時の我々にはインターネットで色々検索する機会に恵まれていなかったので

病院に行って先生に診てもらったことがあります。

その時に「あなたは乳腺が張り易いみたいなので、

日頃から気にしてチェックする習慣を身につけた方が良いですよ。」

と言われたのを本当はずっと覚えていました。

 

でも、ある朝に私が見つけたしこりは、本当に小さな豆粒の様なもの・・。

「うーん、一応心配しておいた方が良いんだろうか・・」

 

当時、私は海外に長く滞在する仕事についていました。

そして、肺結核で定期的に病院に通っていたため、

次の帰国で病院に行った時に先生に聞いてみよう、

と思いながら毎日を過ごしていました。

気にはなってはいましたが、それほど深刻に捉えてはいませんでした。

 

そして、診察当日。

結核治療の診療が一通り終わった所で、先生に「実は・・」と切り出し、

右胸にしこりを発見した事を伝えました。

その時には発見して3ヶ月程経っていたので、

「前回の診察の後に気が付きました」と答えました。

 

当然、毎回胸のレントゲンは撮るし、CTも定期的に確認します。

その時の先生の反応は(女性の先生なんですが)とても驚いた様子で、

「え、本当ですか・・?」と言い最近のレントゲンを何回分か確認し始めました。

 

すると、「あー・・部位を聞けば、これかな・・と言うのはある様な気がしますが

確かではないですね・・これですね・・」

と言って、ペンで部位を指してくれましたが、

私にはさっぱり他の小さな白い影と見分けはつきませんでした。

「これは気が付くのが難しい大きさですね・・。」と言い、

「申し訳ありません・・私が他の事にも気をつけていれば良かったですね・・。」

と申し訳なさそうに謝ってくれました。

 

もちろん、先生のせいでもありませんし、それで病気が防げた訳でもありません。

先生のお優しい気持ちに感謝して「そんな事はないんです。」と答えました。

先生は直ぐ院内の外科医を紹介してくれ、当日中に診察の枠を取って下さいました。

 

紹介された外科の先生は非常に温厚で優しい大先生でした。

エコーの結果を見て、少し間を置いたかと思います、

「僕の経験では・・この映像を見る限り悪性の可能性が高いです。」

と、言いにくそうに私に告げました。

だた、確定診断は細胞診を行わないと分かりません。

高次の病院で働く僕の優秀な後輩を紹介します。」

と言って、その場で紹介先の先生に電話をかけてくれ、

予約まで取り付けて下さいました。

今、思い出しながら書いていても、何と素晴らしい先生に診て頂いたんだろう・・

と改めて感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

この時の気持ち・・

正直言ってとってもびっくりしました。

「うそでしょーーーっ」と心の中で叫んでいましたし、

結構、心臓がどきどきしたのを覚えています。

それでも、まだ半信半疑でした、もしかしたら良性かもしれない・・、

と少し楽観視していたのも事実です。

とにかく、確定診断を待たない事には・・。

 

そして、紹介された都内でも有数の大病院。

実は、私の母校という事もあり、

こんな形で再訪するとは思っていなかったので複雑な気持ちで初診に行きました。

 

当日は問診からエコー、マンモグラティを行いました。

画像結果を見た先生は、

「前の病院から戴いているエコーの結果と同じですよね・・。

その日は血液検査(乳がん時に確認する酵素など、他のがんの酵素検査も

複数つけてくれました)をして、次回に造影CT、MRIを予約して下さって

その日は終了でした。

 

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ここまで、なるべく淡々と事実のみを書きました。

多分、ほとんどの乳がんを経験された方が通って来た

過程と似ているのではないでしょうか。

もちろん、誰一人として同じ経験をする訳ではありませんが・・。

 

 

この記事を読んでいる方々がどの様な皆さんなのか想像してみました。

お乳にしこり(らしきもの)を発見してしまった。

病院で検査を受けていて確定診断を待っている。

実際に乳がん治療を経験されている方々・・・。

もしかしたら、大切な人が乳がんと診断された、もしくは闘っている・・。

 

何かしら乳がんと接点のある方がここに来て下さっているのは何故でしょう?

「他の人が経た過程を知りたい。」

「私は、乳がん経験者の中でも“損”をしてしまった方なのではないか?」

「もっと早く発見できていたのではないか・・?」

乳がんを受け入れるにはどうしたらいいんだろう?他の方はどうやって乗り越えてきているんだろう?」

一人ひとり経験している現実は違いますし、境遇も違う。

もしかしたらステージも違うし乳がんの細胞タイプも違うでしょう。

 

この様なブログを書いていて言うのもどうかと思いますが、

私、乳がんになってから今まで、

ほとんど乳がんに関するブログなどを読みませんでした。

ただ、誰かと共有したかった・・という思いはありましたし、

調べたい事などもありましたが、

キーワードで検索すると、見たくないような意見や記事が出てくるので、

怖くなって止めてしまったのです。

 

当時、私にはこの事に関する相談が出来る親しい友人はいませんでした。

この時点で家族にも相談しませんでした。

ただ、完全に仕事に生きていたので職場にどの様に理解を得ることが出来るかな・・

という心配はありましたが、その様な相談をする人もいませんでした。

 

ただ一人だけ、一緒に病院に付いて来てもらった知人がいました。

それは、私の英語の先生を長年してくれていた外国から来ていた女性でした。

彼女は外人なので日本人とは違うセンスを持っていました。

病院に来ても病気の話や今後の話は一切しませんでした。

 

正直、彼女を連れてきた事は良くない事だったのではないか・・とも感じました。

負担をかけてしまったのではないか・・と心配しました。

が、彼女はその時点で私が乳がんを闘っていくかもしれないという事を

素早く受け入れ、今も連絡を取り合う関係が続いています。

 

誰も相談する人がいない中、そして自分ひとりで決めて行かなくてはいけない、

という事を知ってはいても、やはり誰かに聞いて欲しかった、共有したかった・・

という気持ちはありました。

 

この時点から、若干孤独な私の闘病が始まります。

(本当は色々な力に支えられていましたが、

当時は感じる事が中々出来なかったので、それも併せて追々お伝えしていきます)

私は、結婚もしていませんでしたし、恋人もいませんでした。

家族とも離れて暮らしていましたし、今更家族を頼る事は出来ないよな・・

とも考えていました。

 

次回は、本格検査から確定診断を受け、手術を受けるまでの経験をお伝え致します。

最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

皆さんがハッピーな毎日を送れますように💛f:id:empowerme:20210224213517p:plain

はじめましての日記

はじめまして。

miraiです。

初めてブログに挑戦します。

 

自己紹介をしてみようかな、と思います。

出身は日本某県。

3人姉妹の真ん中に生まれました。

 

予科練最終期で戦場に行く事のなかった父と

地主農家出身の、昔にしてはちょっと苦労をあまり知らない母のもとに

生まれた私達姉妹。

5人家族でした。

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父。頭が良くて良識の高い人でした。

 

何かと常識を知る事が遅かった私。

それでも、何とか皆に支えてもらい日本の大学を卒業し、

医療の世界で働く事が出来ました。

 大学進学が決まった時、父は親戚に向かって

「トンビが鷹を生んだよ」と自慢してくれていたのをいつも思い出します。

 

 

そんな私が人生の岐路に立たされた瞬間。

それは、乳がんを宣告された6年前でした。

「なぜ私が?」という疑問が頭の中から消えないまま

今日という日を生きていられる事に感謝しながら、

「もしかしたら、私の今までの経験も誰かの役に立つかもしれない。」

そう思いブログを始めてみる事にしました。

 

日記をつける癖がなかったので、思い出しながらの手記になりますが、

出来る限り正直に、嬉しいこと、悲しいこと・・。

出来るだけ多くのことについて、多くのみなさんと共有できれば

嬉しいと思っています。