*⁂*乳がんと私-病が導いた本当に望む「人生」との出会い-*⁂*

乳がんを宣告されて今年で6年目。看護師である私の闘病体験を通して、自分らしさや女性としての生き方について考える時間を提供します。

【まとめ:痛みについて理解を深める】乳がん手術後の経験を踏まえて

みなさん、こんにちは。

miraiです。

 

前回までは、手術後の数日間について経験した事をお話しました。

 乳がん手術後数日で経験した事

 

今日は、「乳がん手術後の痛み」に焦点を当ててお話したいと思います。

乳がんの手術は臓器にメスを入れないから、それに比べたら楽なんじゃない?」

と言う人がいます。

中にはこの言葉を聞いて安心する方(これから手術に臨まれる方など)

もいらっしゃるかと思います。

「他の人はもっと苦しいんだから私は耐えないと・・」と思う事で

自分が落ち着くのでしたらそれでも良いかもしれません。

 

痛みは「主観」で感じるものです。

私見を申しますと、他の人と比べる問題ではないと思っています。

一番大事なのは「自分にとってどの位強い痛みなのか、そしてどの位辛いのか」

について医療者に伝える事です。

 

  • 日本人と痛みの関係性

 日本には「痛みは出来るだけ我慢する」ことが美徳とか、‟そうするものだ”

という価値観があるようです。

これは、自分のことを考えても、医療で出逢う様々な場面でも、そうだと思います。

痛みをなくすために薬を使用することを極力避ける傾向にあるようです。

 

私は歴史とか人類学などの専門家ではないので、

なぜ日本にこの様な価値観があるのか、少しネットで調べてみました。

人類学的に民族間での痛みに対する価値観と言いますか、

閾値の違いについて書かれているサイトもありました。

ですが、なぜ日本が文化的に「痛みに耐えるべき論」が根強いのかについて

分かりやすい説明は中々見つかりません。

 

代わりに、現代日本人が「痛み」に対する認識について行った

製薬会社ファイザーの調査をご紹介します。

 

www.pfizer.co.jp

引用:「依然として「我慢は美徳?」慢性疼痛を抱える人の7割近くが「痛みは我慢するべき」と回答。長期に痛みを抱えていながらも、3人に1人は医療機関に通院していない受診するきっかけは、「日常生活に大きな支障が出たとき」が6割以上で最多。」

 

 この調査結果をまとめた、日本人の痛みに対する価値観を
おおよそ反映している項目を抜粋すると:

  • 「痛みがあっても我慢するべき」と回答した慢性疼痛を抱える人は7割近く(6%)にのぼった。2012年の74.3%より減少したが、依然として多くの人に我慢の意識が根付いている。
  • 「痛い」と簡単に他人に言うべきではないと半数以上(1%)が回答し、
    2012年と同程度(55.7%)。
  • 長く続く痛みに対して「痛みが治ることを諦めている」と回答した人は約7割(1%)と、多くの人が痛みが治ることを諦めている実態が明らかに。

 

と、5年間を経ても価値観自体が大きく変化する事はなかったことがわかります。

他にも都道府県毎に疼痛に関する考え方の違いなども載っていますので、

興味のある方はサイトを覗いてみて下さい。

 

4年前の調査とは言え、「痛みを我慢するべき」とする傾向はまだまだ日本人には根強いと言えます。

 

  •  日本での痛みに対する啓発

 私が看護師になって10年程経った時(今から約十数年前笑)、

東京にある有明がんセンターで行われた「疼痛コントロール」のセミナーに参加した時

は、正直「目からウロコ」でした。その際に講師の先生が仰っていた事は

 

日本の疼痛コントロールは、残念ながら進まない。

‟痛みは耐えるもの”、‟痛み止めの薬を使うのはなるべく避けるもの”

という価値観が根強く、実は医師の中にもこの様な考えを持っている人が

まだまだ多い。例えば、末期がんの患者さんに対するモルヒネ投与を

警戒する医師の主な意見は‟モルヒネを投与すると死期が早まる”

というものだが、これには科学的根拠が乏しい。

 

我々疼痛コントロールを専門にする医師は、

疼痛による心身に与える悪影響の方がはるかに怖いことを知っている。

 

というものでした。

 

遥か以前の事ですので、疼痛コントロールの啓発が始まったばかりだったと

言えるかもしれませんが、この講義では非常に有意義な最新研究の報告

と効果的な鎮痛薬使用法が解説されました。

近年になって、医療者向けの啓発は進んできたのかもしれませんが、

前述した調査結果も示している通り、一般の人々にとってはまだまだ

「痛みは耐えるもの」という認識が強いようです。

 

  •  痛みの定義とメカニズム

 ここからは、「痛みの機序と分類」日本ペインクリニック学会を参考にして、

痛みに対する基本的な知識を理解して行こうと思います。

 

痛みの認知は、痛み刺激が数ヶ所で神経を介して最終的に脳に到達し、

「痛み」として認知されるそうです。

 

世界疼痛学会によりますと、痛み(pain)は “An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage” と定義されています:

 

組織損傷(tissue damage)やそれらの損傷に関連して(described in terms of such damage)伴う不快な感覚であり、情動体験である(unpleasant sensory and emotional experience)。

 

 このサイトでは『組織の損傷』で他覚的に確認できる傷や病変などは他者からの共感を

得られるが、『損傷に関連する痛み』のような目に見えない病変などによる痛みは、

他者からの共感が得られにくい、と解説しています。

そして、この点が、医療者による疼痛治療を難しくさせている点だ、

と言及しています。

 

また、痛みがその他の心身両面に複合的な影響を及ぼし、

痛みそのものの知覚を複雑化させる、としています。

難しいことに、客観的な病変が発見できない患者さんが痛みを訴えた場合、

医療者はほぼ「これは心理的なものだ」と結論づけてしまう傾向もあります。

いづれにしても、組織の損傷があろうがなかろうが、痛みは本人しか分からない、

主観でしか測定できないものである事には変わりありません。

 

 乳がん手術は、腫瘍の部位や大きさ、リンパ節転移の有無などによって違います。

部分切除で済む場合は、組織損傷の範囲がそれ程大きくないので、

全摘に比べ相対的に痛みが少ない場合が多いです。

摘出範囲が広く組織損傷が大きくなるにつれ痛みは大きくなるでしょう。

更に、腋窩リンパ節を摘出した場合は、患側の腕が浮腫んだり、

鈍い痛みが続いたりします。

 

また、「慢性疼痛治療の専門医による痛みと身体のQ&A」では、

乳房切除後疼痛症候群(Post-Mastectomy Pain Syndrome:PMPS

に関する解説があります。

PMPSとは、乳癌の手術後に、数か月以上経過しているにもかかわらず、傷痕の部位や胸部、脇の下、二の腕の内側が痛みや違和感、また熱を持ったり腫れたりする症状を有する症候群の事で、このような状態は決して珍しくなく、乳がん手術後の一定の割合の方に生じてしまう。

 更に

「乳房切除後疼痛症候群の原因はまだ十分には理解されていません。
一説には手術の時に神経を傷つけているためと考えられています。
また、手術でメスを入れた部位に長く続く炎症が起きており、
痛みが続いているとも考えられています。
その他、放射線療法や化学療法でも起こる方もいます。」

 と説明が加えられています。

 

このブログ内では、PMPSについてではなく、

術直後から2~3週間の間に自覚する痛みについて考えて行きます。

 

私は乳房内の乳腺全摘(リンパ節郭清なし)をしました。

痛みは・・それなりに強く、再建術で挿入したエキスパンダー

インプラントを挿入する前に空いた乳房内の空間を保つために入れられる液体の

入る袋)も入っていたので、圧迫感や患部全体の痺れも強かったです。

 

術後から3日間くらいは、背中から患部周辺のみに作用する痛み止めの管

(硬膜外麻酔)が入っていますので、ある程度疼痛のコントロールが効きます。

私は、どうやら硬膜外麻酔が原因の嘔気・嘔吐が強く出てしまったようで、

1日早くにこの管を抜く事になりました。

 

これが不思議なもので「今まで身体に流れていた痛み止めがなくなる」

と考えただけで、何とも言えない不安感が湧いて来ました。

吐気を我慢するか、痛みを我慢するか・・という究極の選択について

ずっと考えていました。

 

硬膜外麻酔を抜いても、点滴や内服で痛み止めを使えるのですが、

「点滴や内服では効かないのではないか・・」という未知のものに対する不安が

拭い切れませんでした。かと言って硬膜外麻酔で痛みを100%止められていたか、

というと、それもないのです。痛みそのものにたいする恐怖が色々な事を考えさせて

しまったのかもしれません。

 

10日間入院して、家で安静にしている間も何度か痛みが強くて集中出来なかったり

ぼんやりしたりする事が、退院後2週間くらいは続いたと思います。

 

  • 痛みが心身に及ぼす影響

 痛みは、主に心理面へ大きく影響を与えます。

痛みのために身体機能に制限がかかるだけでなく、

長引く痛みへの我慢は気持ちを沈みがちにさせ、鬱っぽくなる人も少なくありません。

痛みはストレスを増強させ、このストレスが元でうつ症状に関連するサイトカインが

脳内で産生されるためとも言われています。

集中力も出なくなり、不眠に陥る人も多くなります。

 

  • 鎮痛剤を使うと「依存症者を作る」「効かなくなる」は本当か?

 一方で気になるのが、「痛み止め薬」。

日本人が痛みを我慢する理由に、この「痛み止め薬」を使う事への抵抗があることは、

先程ご紹介したファイザーが行った調査でも明らかになっています。

調査参加者の半数近くが「鎮痛剤を使う事に抵抗がある」と答え、

その主な理由に「耐性がついて、いざと言う時に効かなくなりそう」「副作用が怖い」

などと報告されています。

同時に、鎮痛剤は痛みが増強してから使用すればするほど鎮痛効果が表れるのが遅く、

効果を実感しにくいことは知られていないようです。

 

術直後の疼痛コントロールは数日間、前述しました硬膜外麻酔によって行われます。

これに使用されているのは「麻薬」です。

その影響で嘔気・嘔吐が強く出たりしますが、同時に安定した鎮痛効果があるため、

術直後の疼痛コントロールにはほぼ慣習的に使用されます。

このことは術前に麻酔医より説明があるので、

不安がある方は何でも医師に質問して安心して手術に臨まれる事をお勧めします。

 

硬膜外麻酔が抜けると、痛み止めが内服で処方されます。

恐らくロキソニンなどのNSAIDsと呼ばれるお薬が出るでしょう。

これは抗炎症薬でもあるので、外科的侵襲後には良く使われます。

6時間以上の内服間隔を空けて1日3錠までを限度として内服が出来ますが、

これでも鎮痛効果が継続できない場合は、屯用のお薬が準備されています。

注射薬でも座薬でも、その時に使用可能な薬剤を医療者が提供してくれます。

 

一般的に言われている「依存性」とか「耐性」について簡単に触れておきます。

「依存性」とは、体内から薬物が一定以下に減り、薬物効果が無くなると禁断症状を引

き起こすもので、これは主に長期利用者が持つリスクと言われています。

「ペンタジン」という非麻薬系の鎮痛薬は、即効性のある鎮痛効果があるので

術直後には良く使われるのですが、中には「ふわっとする」とか「ちょっと気分が良く

なる」という精神症状を起こす人がいて、

依存状態を作りやすいことで知られています。

 

このペンタジン依存になると、医療機関を彷徨っては注射投与を希望するようになり、

国内でも多数の事例があるようです。

私が働いていた時は、一度使用しただけで「昨日使ったお薬が良く効いたから、

また使って」と希望する患者さんもたくさん見て来ました。

しかし、当時は良く分かりませんでしたが、この様な患者さんは以前から使用してきた

歴史がないかを見るべきだった、と改めて知りました。

 

ネットでよく見かける「鎮痛剤依存症」は、過度な薬剤摂取を繰り返した結果陥る状態

ですので、容量を守って、痛みがない時には使用しないという

普通の使用方法で簡単に防げます。

 

「耐性」は、体が鎮痛剤に対して慣れて来てしまい、

鎮痛までに使う薬の量がどんどん増えて行く事を指します。

長期間激しい痛みの続く疾病などでは薬剤耐性についての対応が必要になるでしょう

が、短期間であったり、頓服使用では正しい薬剤使用では起こりにくい

とされています。

 

副作用も薬剤毎に対処法があるので、大抵の場合は使用前に説明があります。

もし、副作用の説明がない時は医療者に必ず自分から質問して下さい

また、ロキソニンの様に胃粘膜保護薬と一緒に内服する場合もあります。

副作用のリスクを取るか痛みに耐える事を取るかは自分自身の判断ですが、

手術の様に時間の経過と共に無くなって行く一過性の痛みでしたら、依存性や耐性、

副作用などのリスクより、痛みが心身に及ぼす悪影響を心配するべきかと思います。

むしろ、痛みによるストレスで気分が落ち込んだり、

気分転換もままならない方が身体に障るとも言えます。

 

こうした「痛みが与える悪影響への知識不足」と

「鎮痛剤への誤解やネガティブな思い込み」が相まって、

日本人が疼痛コントロールに対して行う判断に

あまり変化を生じさせないのかもしれません。

 

私は、慢性的な頭痛持ちなので、1日に1回から数回鎮痛剤を飲みます

アセトアミノフェン系です)。

頭が痛くなりそう・・と思った段階で飲んでしまいます。

なぜなら、頭痛の辛さに耐えるのが嫌だからです。

ところが、乳がんの手術後、硬膜外麻酔が早めに抜けて痛み止めの内服が開始されてか

ら、それ以外の鎮痛薬は使いませんでした。

看護師さんに「点滴での痛み止めがありますから、痛い時は我慢しないで教えて下さ

い」と言われていたのも覚えています。

私もこの手の説明は、看護師として働いている時は決まり文句でした。

 

術直後の痛みは強いのです。動かなくても患部一帯がずっと痛くて重いのです。

痛み止めとして使われる薬剤も数種類予想がついていました。

もしかすると、今までの患者さんへの鎮痛剤投与後の効果について

あまり信用していなかったのが原因で、

「○○は効かなさそう、●●は依存になる確率が高い・・」などと、

私も誤った認識を持っていたのかもしれない・・。

でも、正直、自分でも自分がなぜ追加の鎮痛剤を使わなかったのか

はっきりとは分からないのです。

 

  • これから手術を受ける方々へ

 今回の記事で伝えたかった点は以下の6つです:

 

1)痛みは個人の「主観」で認知するもの=医療者を含む他の人に分かってもらうため
  にはためらわずに「どの様に痛いのか」「どの位痛いのか」「いつから痛いのか」
  を伝える事が大事。

2)痛みを我慢すると、心身に複合的な「悪影響」を及ぼす。

3)痛み止めを使う事は悪いことではない。術後数日は特になるべく除痛を意識する事
  が大事。痛み止めを使っても治まらない痛みは、何か他の異変が起きている可能性
  も示唆されるため、それも大切なシグナルになる事もある。

4)痛み止めは、痛みが強くなってから使用しても効きが遅延する事が多いので、
       ギリギリまで我慢しない事が大事。

5)術後などの急性期には、痛み止めを使っても即「依存症」を引き起こしたり、
  「耐性」を作る事例は少ない。

6)なるべく痛みのない(少ない)時間を多く確保する事で、
  精神的なストレスを減少させる事が大事。

 

 手術に限らず、身体に侵襲の加わる医療行為はどれも怖く感じます。

もちろん、苦痛を伴う事が避けられない事も多いですが、

一方で極力苦痛を感じさせない処置の方法も発展しつつあります。

 

外科的手術は、全身麻酔による侵襲に加え、範囲は様々ですが組織損傷による痛みは

どうしても生じます。術式や手術範囲などによって術後の経過は様々ですが、

痛みは個人の主観であり、例え相手が医療者であっても、

自分の辛さを理解してもらうには、正直に申告するしかありません。

 

医療界では、個人が感じている痛みの「程度」を知るために

“10段階のうち幾つくらいか”で表現してもらう方法が取られています。

しかしこれでさえも、我慢する傾向の強い日本人に有効な方法か、

若干の疑問はあります。数字で表してみて下さい、と言われるとかえって控えめになる

可能性もなくはありません。

 

今から考えると、あの時の痛みが10段階のうちの幾つだったか評価する事は難しいで

すが、皆さんが体験する痛みが10段階のうち5とか4でも、

それを「比較的小さな痛み」などと他者が評価する事はできません。

何段階であろうとも、痛みを取り除きたい、もしくは軽くしたい、

と思ったらためらわずに医療者にその気持ちを伝えて欲しいな、と思います。

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乳がん手術後数日で経験した事

こんにちは、みなさん。

miraiです。

 

一生に一度で十分、手術直後1日目は、

体育会系でストレス耐性は高い方だと自負する私でも弱音を吐いてしまいました。

といっても話し相手がいないので、

自分自身の中で「辛いもんだのう・・」呟いただけですが笑。

手術翌日はそれはそれで大変だった

 

手術後すぐに歩けるようになったのはいいのですが、

痛みと吐気が強く気持ちが沈みがちでした。

生理学上当然の反応なので、仕方のないこと・・。

「恐らく、吐気は硬膜外(背中に入っている痛み止め)だろうから、

抜けば吐気は治まる。でも、果たして痛みにどれだけ耐えられるか・・。」

ずっと考えていました。

 

手術後2日目の医師の回診。

前日と同じく表面に見える傷を確認し、

ドレーン(傷口から排液を促す管)を見ていました。

「吐気がかなり強いようですね。」と一通りの観察を終えた医師は

私の顔を見て言いました。はい、と答えるしかありません。

すると、私が答えを決め切れていない「あれ」について打診されました。

「背中の管、抜きましょうか。」

 

いつもは判断が早い私でも、こればかりは即答できませんでした。

答えに窮していると「いづれにしても明日抜く予定でいるので、

1日早めるだけです。きちんと食べられた方が回復のためには大切ですし。」

とテキパキ言うので、じゃあ、と思い抜管をお願いしました。

一般的に、病棟で侵襲が加わる処置を行う場合、

午前中に済ませてしまうことが多いのです。

何故かというと、処置後の合併症を想定して、

観察時間を1日の間で十分に取れるようにするからなのです。

 

硬膜外麻酔は痛みのコントロールのために、多くの外科手術で取り入れられます。

何でもそうですが、こうした医療処置には必ず危険が伴うもので、

この硬膜外麻酔も、症例はそれ程多くないとはいえ、様々な合併症を引き起こします。

硬膜外血種、感染、カテーテル断裂による体内残存など・・。

挿入中には何もなくても、抜去後に合併症を引き起こす可能性もありますので、

自分でも注意しておく必要があります。

例えば、頭痛が起こったり、足の動きが鈍くなってきたりなど。

 

抜く時は、スルスルと体内から何かが滑り出る様な感じですが、

痛みは殆どありません。

硬膜外麻酔の管を抜いた後は、少しの間水平に寝たまま安静にしています。

どうやら、私の管は断裂もなく無事全部抜けたようですので、

しばらくの間ベットの上でじっとしていました。

痛みに対する心配も一時は忘れて

「血種が出来ませんように、感染を起こしていませんように、神様、神様」

と祈っている内に眠ってしまったようです。

 

昼ご飯の時間で起こされました。

担当の看護師さんがやって来て「一緒に起きましょう」といい、

手を貸して下さいました。

患部の痛みが強くなっているのかどうかは分かりませんでした笑。

とにかくずっと胸の辺り一帯に強い鈍痛が続いていたので、

「まあ、もうしばらく様子見で・・」と自分に言いました。

幸い、頭痛も起きず、背中の抜去後の跡にも表面的な出血は見られませんでした。

でも、まだ何となく食欲が湧かず、ぼーっと昼食の載ったトレイを見つめていました。

 

その後、痛み止めの薬が内服薬で開始されました。

点滴の管はまだ残っていて、朝晩の抗生剤投与のみに使われました。

硬膜外麻酔が抜けてしばらくは痛み止めの点滴処置も可能でしょうから、

しばらくは安心。

 

時間の経過とともに、食事が食べられるようになって来ました。

何か、味覚が鈍いような感じもしましたが、まあ、一過性のものだろう・・

と思いながら、病院で出して頂けるお食事を有難くいただく事が出来ました。

痛みは相変わらずで、ベッドでの寝返りや起き上がる動作が一番工夫を要しました。

看護師さんに教わったのですが、起き上がる時はまず横向きになり、

そこからベッド柵に手をついて身体を起こすと比較的楽です。

上向きのまま起き上がる癖があるので、

これを教えて頂いた時は、「おー」と改めて専門知識って有難いなあと思いました。

(なぜ私自身が知らなかったのかがむしろ悲しい笑)

 

食事が進むようになってくると、大抵の場合便秘傾向が始まります。

術後数日間は思うように動けませんし、痛みだけでなく、

何となく頭なのか目なのか分かりませんがフラフラして、

歩みが弱々しい感じがするのです。

今は、術後の早期離床と言いまして、

翌日から立ってトイレだけでも自力で行けるように促されます。

それは、回復過程を早め、合併症を予防する観点から医療界では主流です。

それでも、運動できるレベルになるまでにはかなり時間がかかりますから、

便秘を予防するにはお腹をマッサージしたり、薬を飲んだりするしかありません。

元々便秘がちな私は、必ずこうなるだろう、という事は予想できていましたので、

自宅から普段使っているハーブの便秘サプリを持参して来ていました。

もし、これから手術を受けられる方で便秘傾向がある方は、

自分と相性のいい便秘解消サプリなどを用意しておくと良いと思います。

 

3日目になると、お部屋に初老の患者さんが入院して来ました。

詳しい病名は忘れてしまいましたが、慢性的な病気を抱えており、

何度も手術を経験されている方で、

今回も胸の手術のために入られたと仰っていました。

明るくお話の好きな方で、

「調子の良い時はカーテンを開けて、みんなでおしゃべりしましょうよ。」

とみんなに挨拶していました。

「あなたは乳がん?」と私に聞くので

「はい、そうです。今日で術後3日目です。」と答えました。

すると彼女は「私、こんな病気じゃない?だから長いことこの病院にかかって

何度も入院しているけれど、乳がんの方、多いわね。」と言いました。

 

あの、これは良くある認識です。

私は、看護師として小児がん専門病棟にいた事があります。

当然のことながらがんを発症した子供ばかり見る事になります。

すると、世の中の子供の多くががんに罹るのではないか、と思い始めます。

胸の病気を抱えていて胸部専門の病棟にいる事が多ければ、

乳がんの患者さんを見る確率は大きくなりますから。

 

そんな明るい彼女のお陰で部屋の患者さん同士の会話が増え、

気が紛れる事が多くなりました。

大人同士の部屋では、カーテンを閉め切って一人で過ごす人が多いような気がします

が、私も彼女が同室に入院して来なければ、

そうしてひっそり過ごしていたかもしれません。

それがいけない訳ではないですが、辛い症状に耐えたり、

ちょっとした間に悲観的な事を考えたりするよりは、

人とおしゃべりをする時間も必要かもしれないなあ、と思いました。

 

結局、痛み止めの点滴はお願いしませんでした。

痛みは軽減することなくずっと痛かったですし、

痛みに耐えるとサイトカインが増え、

身体に対する良くない影響がある事も知ってはいましたが、

内服薬で何とか過ごせていました。

お願いしなかった理由は、実は私自身でもはっきり分かりません。

抵抗があったのかもしれないし、薬効を信じていなかった可能性もあります。

高確率でペンタジンが使われる可能性が高く、依存症患者を大勢見て来たので、

せっかくだから試してみても良かったかもな・・と後々考える事はありましたが、

そんな理由で貴重なお薬を使うのもおかしな話です。

 

さて、肝心の傷の経過ですが、

実は何日目で患部の消毒を開始したのか忘れてしまいました笑。

でも、初めて自分にできた傷を見た時の感覚・・今でも忘れられません。

このお話はまた次回以降にしようと思います。

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手術翌日はそれはそれで大変だった

みなさん、こんにちは!

miraiです。

 

前回は、手術直前直後の記憶を辿りました。

乳腺全摘+乳房再建術の手術当日の記憶

 

今回は、手術後の一夜を超えた後はどんな感じで過ごしていたのか

またまた記憶を手繰り寄せます。

 

麻酔の影響も少しずつ抜け、

意識がはっきりして来たのと同時に痛みも強く感じるようになり始めた朝方・・。

 

看護師さんが何度か部屋を訪ねてくれ、

背中に入っている痛みをコントロールする管で継続的に流れている痛み止めを

一時的に多く流してくれました。

この処置は、使う事が出来る間隔が決まっていて、

痛みが取れるまで倍流しする事は出来ませんが、

取り合えず1回処置してもらえば、

何となく痛みが和らぐような気がするから不思議です。

 

意識がはっきりして来ても、患部がどうなっているのかは良く分かりません。

何か胸の辺り一帯が「どーん」鈍い感じがして重い石が載っているような感じでした。

胸の周りが厚ぼったく何かでくるまれているは分かりました。

後は、トイレに行く必要が無いよう膀胱にカテーテルが入って来ます。

まだまだ、朝の段階では痛みとの闘いに意識が集中しているので、

これに対する違和感をあまり強く感じる段階ではなかったようです笑。

 

部屋が点灯し、看護師さんが改めて「miraiさん、おはようございます。」

と言ってバイタルサインを図ったり、必要な観察をした後、

「少し、ベッドを起こしてうがいしてみましょうか」と促されたため、従いました。

ところが、ベッドを40度位に上げた所で

急に吐気がこみあげて来て吐いてしまいました。

全身麻酔後に起こる悪心・嘔吐は、特に女性で良く観られる現象で

「術後悪心・嘔吐(postoperative nausea and vomiting:PONV)」と言います。

 

後は、硬膜外麻酔に使用している麻薬も悪心・嘔吐の原因になるため、

あまりにも嘔気・嘔吐が強い場合は早期抜去も検討されたりします。

 

という事で、気持ち悪いな~・・と思いながら

ベッドをフラットに戻してもらい静かにしていました。

トイレに行く必要もないし、色々心配しないでジッとしてよー・・と思いながら。

 

すると、若い男性がベッドに来て

「miraiさん、おはようございます。研修医の○○です。

今日から外科で研修をする事になり、○○さんを担当する事になりました。

宜しくお願いします。」

と丁寧にあいさつをしました。

丸坊主にした好青年で、「早速で申し訳ありませんが」と断った上で

「採血をさせて下さい」と言いました。

 

「ちょっと、怖いです・・」とも言えないし、

寝たまま体を起こしてみる事も出来ないので、

「はい、お願いします。」と返事をしました。

 

今の若い医師はその様に指導を受けていたのでしょうか、

針を刺す前に「いち、に、さん」と言って数えてくれました笑。

私は、その様なやり方をした事がなかったので良い勉強になりましたし、

何だか「可愛い方法だな」と思いました。

若先生は一発で採血を成功させ、少し会話をして頭を下げて去って行きました。

 

その内、朝ご飯が運ばれて来ました。

どんな食事が出たか覚えていないのですが、果物のジュースだけ戴きました。

が、結局その後少しして吐いてしまいました・・。

 

胸の傷口には、術創内の排液を促す管が入っていました。

患者さんのケアでは良く観ていましたが、

まさか私がこれを入れられる立場になるとは・・

でも、お陰で自己観察が出来て良かったとも言えます。

 

後、背中に入っている痛み止めの管は非常に細く繊細です。

琵琶の実の一回り大きいくらいの風船に薬液が入っていて、

それが微量に流れ続けています。

この管も気をつけていないと「切れてしまうのではないか・・」と心配になります。

今まで看護してきた中で、

この硬膜外麻酔の管が切れてしまった患者さんを見たのは1回だけあります。

 

ボーっとした感じが少なくなったとは言え、

身体に入っている管類を気にしつつ、持続的な吐気にちょっと気分も低調でしたが、

「まあ、仕方ないか。」と思いながらウトウトしていました。

 

その内、主治医の下についている若い女医さんが回診に来ました。

一通り一般状態を尋ねられた後、

「今日から数日は傷口の観察はしません。

ただ、脇の傷と管の周りだけ観察と消毒をさせて下さい。」

と言い、胸に撒いた圧迫帯を少し緩めて必要な観察と処置を行いました。

 

「後、吐気が強いようですが、背中の痛み止めを早めに抜く事も可能です。

ただ、今日抜いてしまうと、痛みが辛い可能性もあるので、

ちょっと様子見ながら決めてみましょう。」

と言い、去って行きました。

 

お昼が近づいて来た頃、

看護師さんがバイタルサインを測りにベッドにやって来ました。

この時の看護師さんは、

私がベッドから起き上がった瞬間に急激な吐気に襲われて

嘔吐しているのを冷ややかな目で見ていました。

まあ、私もこんな気持ちで患者さんを見ていた事もあるかもしれないから、

因果報酬かなあ・・・と思いながら、

吐物を雑に片づけて戻って来た彼女に「ありがとうございます」と御礼を言いました。

 

「ちょっと、歩く練習してみませんか?問題なく歩けるようなら、

尿の管を抜こうと思います。」とその看護師が提案して来ました。

今の術後管理は、早期離床・早期リハビリ開始が主流です。

管などがあるのと、やはり傷が痛いので、ゆっくりゆっくりですが歩いてみました。

特にふらつきが強い訳でもありませんので、さっそく尿の管を抜いて頂きましたが、

「ストッキングはもう少し履いて居て下さい。」と言われました。

(術前から履いていた長期臥床による血栓予防のための弾性ストッキングのこと)

まあ、痛みのために動きが制限され、寝返りも思うように出来ないので

仕方ないかな・・と思い、素直に従う事にしました。

尿の管を抜いて頂いた時に、身体を軽く拭いて頂きパジャマに着替えました。

これだけでも、少し気分が変わりました。

 

術後翌日は、痛みと嘔気との戦いでした。

食事は昼から普通のものが出ましたが、当然食べることが出来ず、

水分やジューシーな果物を試しましたが、何を食べても全部吐いてしまう始末・・。

まあ、仕方ないか、と思いつつ、持参した本もまだ読む気になれず、

ぼんやりと過ごした1日でした。

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乳腺全摘+乳房再建術の手術当日の記憶

みなさん、こんにちは

miraiです。

 

今日は、いよいよ手術当日の記憶を手繰り寄せてみようと思います。

前回は入院当日からこの日に至るまでの経緯を書きました。

入院から乳腺全摘術前日までの記憶

 

絶飲食が続くせいで、身体が冷えて、心なしか寂しさがピークを迎えた頃、

看護師さんから「手術室に向かいましょう」と声がかかりました。

 

術衣は袖なしの薄手なものなので、

手術室前室の入り口(病院にもよりますが、手術室そのものに入る前に設けられている

空間を前室と言います。ここのスペースを通じていくつもある独立した手術室に繋がっ

ています。大抵はここで病室の看護師さんと手術室の看護師さんが申し送りをし、

患者さんを引き継ぎます。)

まで、カーディガンを羽織らせてくれました。

 

前投薬(緊張をほぐしたりする作用の薬で、大抵は筋肉注射などで投与される)は

確かなかったので、手術室まで歩いて行きました。

 

実は、全身麻酔下での手術を受けるのは初体験で、

患者さんの気持ちはやはり実際の当事者になってみないと分からないものだ・・

とぼんやり考えていました。

 

手術室には約10名くらいの医療者がいて、色々と準備をしていました。

ベッドに横になり、衣服を脱がされたり、

術部の確認など色々されながら手術室の天井を見ていました。

右か左かの確認はとても重要です。

 

そうしている内に、前日お会いした麻酔科の女医さんが声を掛けました。

 

「今日は宜しくお願いします。夕べは良く眠れましたか?」

 

優しい声の先生でした。

 

私は、短く「ハイ」と答えて、続いて説明される麻酔の手順を聞きました。

 

「これから麻酔をかけますが、先にマスクを口と鼻に覆います。

ゆっくりと一から順に、私と一緒に数えましょう。

何か言って置きたい事とか心配事はありますか?」

 

私は、良く分からないので、「いいえ、ありません。宜しくお願いします。」

と答えると、先生は「では、マスクを当てますよ。」と言い、

透明のマスクを優しく顔の上に載せました。

 

「はい、miraiさん、数えますよ。いーち、にーい・・・」

 

次に意識が戻って来たのは、また女医さんの声ででした。

本当に、意識がなくなってから一瞬でした。

 

「miraiさん、まだ喉に管が通っています。

今からこれを抜くので手を動かさないで下さいね」と

やや大きめな声で話しかけられました。

 

「大きく息を吐きましょう、行きますよー、いち、にの、さんっ!」

 

と言って、呼吸を管理するために気管に通していた管を抜きました。

 

刺激で「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」と咳が出ました。

私は、20代の頃、アメリカドラマの「ER」にハマっていて、

その時に何度と見た抜管の時と同じだ・・と頭の中で考えていました。

 

その後、何度か「深呼吸しましょう~、はい、吸って―、吐いて―」と

深呼吸を促されました。

声掛けがないと普通にドーンと深い眠りに引きずり込まれてしまいます。

酸素マスクを着けられてそのまま眠ってしまいました。

 

どこか痛い、とか息が苦しい、とか痰が喉に絡む・・とかそんな苦痛もなく、

ただただ眠く、声をかけられれば何とか返事をしましたが、返答するのに必死でした。

 

で・・

その先、どうやって病室に戻って来たか、全く覚えていないのですが・・

すみません、役に立つ情報が言えず・・苦笑。

恐らく、手術室内の観察室で数時間程度全身観察して頂いたと思います。

(そう、術前に説明がありました)

 

とにかく、病棟に帰って来てベッドの上で

酸素マスクで酸素投与を受けながら眠っていました。

姉が病室で待っていてくれたのも気が付きませんでした。

 

まだ、病棟に戻っていくばくも経たない頃、

まだまだドロドロ眠っている私のもとに主治医(執刀医)がやって来て、

「お疲れ様でした。迅速病理の結果、腋窩への転移もなく、

予定通り手術が終わりました」と告げました。

姉にも聞いてもらったので良かったのですが、

こんなまだ殆ど麻酔の影響が抜けない状態の患者さんに

腋窩転移がなかった」と大事な告知をしていくのかよ・・

と頭の中で考えが浮かんでいましたが、

必至で、「ハイ、ハイ」と答えていたのは覚えています。

 

私がひたすら眠っていたからでしょう、

しばらくすると、姉は「じゃあ、miraiちゃん、お姉ちゃん帰るね。」

と言って帰って行きました。

呂律の回らない口で、「ありがとう、気をつけてね」と返答しました。

 

私は、どのくらい眠り続けていたか、全く見当もつきません。

記憶があるのは、消灯が過ぎたと思われる頃からで、

看護師さんが何度かバイタルサインを確認し、

その度に「酸素マスクを外して鼻の管に変えますね(経鼻的に酸素を供給する、

と言う意味です)」とか、「喉は乾きませんか?」など聞かれた事です。

 

今現役で働く看護師さん、これだけは覚えておいて下さい。

手術を終えたその夜は、意識はまだボーっとしていて、とっても眠いのですが、

「聴覚」はかなり敏感だ、という事です。

 

特に、酸素の接続器具や金属のような重いものを扱う時は、気をつけて下さい。

看護師さんは普段の業務のようでも、

「ガチャ、ガチャ」「ガチャンッ!」という音が頭の中で響きます。

酸素投与の方法を切り替えたりする際に、

病院本体の中央配管に接続する器具を変えたりする作業が必要になったりします。

私は、看護師さんがする作業が分かっているので、

「あー、今あれを外して、あれを付けているんだろうなー」と分かっていても、

音が頭の中にダイレクトに振動として伝わるのです。

看護師さんがわざとうるさくやっていなくても、音が響くのです。

 

暗くて辛い夜を超え、早く朝を迎えたい手術後の患者にとって、

この「音」による睡眠の寸断は、かなり辛いはずです。

現に私はこの時の記憶が鮮明です。

 

術後の酸素投与は、恐らくルーティンとして行われていると思います。

麻酔科の医師によってはそれを指示しない人もあるようですが、

大勢の患者さんを観察する責任のある看護師さんにとっては、

「酸素しなくていいよ」と言われると若干不安になってしまうだろうな・・

と思いながら以下の記事を読んでいました。

参考リンク:

knight1112jp.at.webry.info

 

 一般的には、全身麻酔後の低酸素症を防止する事が一番の目的です。

全身麻酔中は、身体の全ての筋肉の活動を止めるため

「筋弛緩剤」と言うものを投与されます。

後は麻薬も使用しますので、それら薬物の残存による

様々な合併症による低酸素状態を防ぐために、術後一定時間酸素を投与します。

 

手術時間や術式などにもよりますが、

呼吸器に外科的侵襲のない手術の場合は朝までに酸素投与が不要になるケースが多く、

私も朝方酸素の管が外されました。

 

時間の経過と共に麻酔が抜けて来て、意識も少し戻って来ます。

が、それと共に増すのが「痛み」です。

手術後は背中に麻酔薬投与のための管が入った状態で帰って来ます。

 

硬膜外麻酔と言われるもので、術後の痛みをコントロールする為に必要なものです。

乳腺を全摘する場合、乳頭から切開を入れ、乳房内の乳腺を摘出して行きます。

ですので、乳房内部は内皮だけが残り、その内側全面は傷がついている状態です。

表面的な傷はお乳のてっぺん、乳頭があった場所にに出来た正中創だけですが、

内部は組織を切除された面が存在します。

 

加えて、同時再建の場合「エキスパンダー」と言われる

乳腺切除後の空洞をお乳の形に保つ「水風船」の様なものを挿入して来ます。

 

ですので、手術後早期の痛みはかなり強いのは普通です。

硬膜外麻酔は継続的な鎮痛剤投与が可能で即効性も持続性もあるので、

それで当面の痛みをコントロールします。

常に微量で一定量の痛み止めが創部のある部位に効く部分に流れているイメージです。

痛くて眠れなかったり、我慢できない場合は一時的に薬を「早送り」して

多く投与する事が出来ます。

 

ただし、この管を通して感染合併症を引き起こすと

ダイレクトに脳に菌が入ってしまうため、手術後早期に抜くのが一般的です。

 

私は、あまり良く覚えていないのですが、術後の朝方から何となく麻酔の影響が切れ、

痛みが強くなって来て数度「早送り」をお願いした記憶があります。

それで痛みが和らいだか・・と言うと、ちょっと鮮明に覚えていないのですが、

恐らく「気分」で納得し、再度眠りに入ろう・・の繰り返しだったと思います。

 

先程も申しましたが、これが私の初の全身麻酔による外科手術の経験でした。

医療側からすると、麻酔の影響が長く残る事はかなりの問題であるため、

時間の経過と共に意識が戻って来る、意識がはっきりしてくる、

という事は必要なのです。

 

それと共に、色々な辛い事、例えば「痛み」とか、

「痰が絡む」とか「喉が痛い(※麻酔中に入れていた管の影響で喉が痛くなったりイガ

イガしたりする人もいます)」とか、「喉が渇くけれど飲めない(※全身麻酔後、腸内

運動が再開する一定時間消化器器官を動かせないため経口摂取が出来ません)」

などが意識下で自覚できるようになって来ます。

 

辛さは、個人の「主観」によって度合いが違います。

私はとにかく「朝が来るまで。そして、はっきり目覚めるまでは我慢しよう」

と考えていたので、黙って看護師さんのケアに従う事にしていました。

 

もちろん、自分の許容範囲を超えて辛い場合は、

術後に使える指示薬、例えば「眠れる処置」などが用意されています。

もし、看護師さんが立てる音が気になるようでしたら、

率直に「もう少し静かにして下さい。」と言っても良いのです。

 

私は、この経験で何を想ったか・・。

「看護師として私がしてきた事、出来ていなかった事を猛省」でした。

この点については、退院までの入院生活を総括して別の記事で書ければなぁ・・

と思っています。

 

時間の経過とともに意識もはっきりして来て、痛みなども感じるようになり、

ようやく朝を迎え、不安だらけだった術直後の夜は明けました。

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入院から乳腺全摘術当日までの記憶

みなさん、こんにちは

miraiです

 

前回は入院までの期間どう過ごしたか、これから乳がんと闘って行こうと決意するまで

のお話を書きました。個人的には、このお話はとても好きです。

empowerme.hatenablog.com

 

さて、とうとう入院の日がやって来ました。

入院前に一度麻酔科診察を受けに病院に行き、案の定「禁煙」を勧められましたが、

その先生はそんなに高圧的ではありませんでした。

「喫煙によって合併症のリスクが高まるのは、まあ、実際あるようです。

可能であれば、今からでも止めて下さい。」と言った感じでした。

後、入院(手術)に必要な持参物リストなどを頂きました。

 

毎日仕事に没頭し、入院準備などもあまりしっかりしていなかったのですが、

唯一何十年振りかに購入したのが「パジャマ」。

買おうと思って探すと結構ないもので、結局通販で慌てて調達しました。

パジャマを着て寝るなんて、本当にいつ以来なのか??と思いながら。

 

手術(後)に必要な医療用品、

例えばT字帯(ショーツの代わりに使うふんどしみたいな形の下着)や

胸部圧迫用のチューブ、血栓予防の弾性ストッキングなどは

病院で購入すれば間違いはありません。

院内の売店は正規料金または少し高い値段で売っている事がほとんどなので、

節約したい・・と思われる方はもちろんネットなどで安価で

調達されても問題はないです。

私は、病棟の看護師さんの説明を受けてから、全て入院後に買いに行きました。

 

後は、本を数冊持参しました。

買ってあるのにずっと開かず仕舞いでいた書籍をこの際読んでしまおう!

と意気込んでいました。

 

小さなスーツケース一つにまとめて、いざ病院へ。

病室に案内され、オリエンテーションを受けていると、

一番最初に診察して下さった胸部外科の先生が顔を見に来て下さいました。

優しい先生でした。

 

私が入院したのは胸部外科一般の病棟で、

乳がんの手術だけでなくその他の胸の手術を受ける人達専門の病棟でした。

私は大部屋での入院を希望し4名のお部屋に案内されました。

 

私が入院した時は私ともう一人しか部屋にはいなく、

その方も乳腺全摘+再建術を終えた方で、翌日には退院を控えていました。

あまり色々とはお話しませんでしたが、当然ではありますが

「私だけじゃないんだな・・」と思って、

少し気持ちが軽くなったのを覚えています。

 

入院当日は、職場で非常に大切なアニュアルミーティングがあり、

私は病院からオンラインで参加しました。

その間に担当チームと麻酔科のラウンド診察がある、と告げられていたのですが、

「何時になるか分からない。多分夕方だと思う。」と説明を受けたので、

病棟の多目的スペースでパソコンを開いて職場のミーティングに参加していました。

私の部署の発表は1週間後に行われる第2弾のミーティングに設定してもらい、

退院後に参加する計画にしました。

 

先生方がラウンドに来た時はまだミーティングの最中だったのですが、

とりあえず中断して、診察へ・・。

患部の確認をして、マジックでマーキングをし、

「では、明日頑張りましょう」と言ってあっさり去って行きました。

麻酔科の女医さんは、ミーティング中と察したら「後でまた来ます」と

時間をずらして来て下さいました。

結局、2度目に来て下さった時もミーティングは続いていたのですが、

「忙しそうですね」と言って、簡単な問診だけで終わりました。

 

術前の入浴は看護師さんに言われた時間帯に済ませましたが、

「明日、午前中にもシャワー浴びて良いですよ。

胸のマーキングだけ消さない様に気をつけて下さい。」と配慮して下さいました。

 

私は、午後の手術でした。

夕食までは普通の食事が出て、21時以降は絶食。

翌朝水分が出ますので、それ以降は絶飲食・・などと説明を受けました。

 

普段、自分の仕事で山ほど患者さんにして来ている事を、

私が患者として経験する番か・・と胸に思いながら過ごしていました。

 

前の晩は、特に緊張とか不安などを強く感じてストレスだった、

という事はありませんでした。

看護師さんが、「もし眠れないようでしたら、睡眠剤を飲んでも大丈夫です」

と言って下さいましたが、多分、お願いしなかったように記憶しています。

(記憶が定かではないです笑)

「どうせ、明日は山ほど眠るんだから、もし眠れなくてもまあいいか。」位に

思っていたと思います。結局、眠れたかどうかも忘れました。

 

次の朝、看護師さんに検温をして頂いた後、

朝食にアイソトニックウォーターが出ました。

何の味もなかった事だけ覚えています。

お腹が空いたな~~~と思いながら、午前中はボーっとしながら過ごしていました。

 

私が一番覚えているのは、やはり食事を摂らないで水分のみで過ごした午前中は、

身体が冷えて足先も冷たくて「寒いなあ~」と思っていた事です。

元々冷え性なので慣れてはいるのですが、

手術前の心細さと相まったのか、

それとも寒さで心細さが増したのか分かりませんが、

いずれにしても暖かく出来るような靴下とか持ってくれば良かったな~~

と考えながら布団にくるまっていました。

 

更に、入出時間が近くなると看護師さんより「お着換えお願いします」と言って

薄手のガウンの様な病衣に着替えなくてはいけません。

ショーツも脱いでT字帯をつけなくてはいけません。

弾性ストッキングは、かなり装着が大変なので履くのに時間がかかります。

 

術前の点滴・・・恐らく取ったと思いますが、忘れてしまいました笑。

とにかく身体が冷えて何度もトイレに通ったので、

点滴で水分を補っていたんだと思います。

 

手術当日は、家族の付き添いがほぼ義務つけられる事が殆どです。

全身麻酔は一番大きい身体侵襲なので、万が一の場合に備えてもらう必要があります。

私は姉にお願いしましたが、仕事の関係で術前には間に合いませんでした。

「手術中にいてもらえばいいと思うから、大丈夫。」と言って、

姉の仕事に支障が少なくなるようにしました。

 

さあ、いよいよ手術です。

この後は、次回のブログで書こうと思います。

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乳がんと仕事と人生と

みなさん、こんにちは。

miraiです。

 

前回は「喫煙」が乳がんにどの様に影響するか、というお話をしました。

色々と根拠となるサイトの紹介もありますので、

気になる方はご覧いただければと思います。

empowerme.hatenablog.com

 

今日は、入院までどう過ごしたかと入院までの経験を共有します。

このお話は前々回、「形成外科の女医さんから、きつーく禁煙を約束させられた・・」

というお話の続きです。

 

当時、私は「禁煙」は無理、と思い込んでいましたし、

「私から唯一のストレスリリース剤を手放すなんて!」とも考えていましたので、

結局、その日からも依然と同じようにタバコを吸っていました。

(1日の本数は多くて5本くらいでしたが)

 

そして、どの様に周知するか、仕事をどうするか・・などで頭の中が一杯でした。

当時、私は仕事で責任のある立場にいましたし、

自分の担当するプロジェクトを遂行するために海外と日本を激しく

行き来していました。日本にいても海外にいてもスケジュールは過密で、

それが私の幸せでもありました。

仕事を楽しんでいました。

 

手術は4月に決まっていましたが、その時も全部スケジュールが埋まっていて

欠席できないミーティングやイベントなどが気になっていました。

「病気が病気なだけに、退職を勧められるかな・・」という不安もありましたが、

どちらにしても、手術やその後の治療が仕事に影響するため

黙っている訳にもいきません。

 

考えた挙句、当時所属していた仕事先の一番のリーダーに最初に報告しました。

恐れ多くも一対一の面談を申し込み、

そのリーダーは「じゃあ、せっかくだから食事しながら聞くよ」と言って

近くの焼き鳥屋さんに連れて行ってくれました。

私が、自分の病気を報告し、今後どうして行きたいかを正直に話すと

「今まで通りに頑張ったらいい」と、あまり直接病気の話に踏み込まず、

仕事の話を中心にその場は進みました。

 

それは、私に希望を持ち続けさせる報告会になりました。

どうなるかは分からないけれど、

「仕事に支障が出ない様に病気と付き合って行こう」と

マインドセットする事が出来ました。

 

次は家族です。

今、私には母と姉がいます。

父は私が30代前半の時に他界しました。

年子の妹もいましたが、父が他界して数年後にこの世を去りました。

 

もし手術の同意書への家族の署名と当日の付き添いが必要なかったら、

誰にも言わなかったかもしれません・・。

いや、それでも姉には伝えたかな。

姉はその前の年に癌の手術を経験しています。

 

結果、姉に報告して協力をしてもらう事にしました。

「どうも、乳がんになったっぽい。

まだ初期だから手術と内服治療で寛解を保てると思うけど。」

と単刀直入に報告しました。

「迷惑をかけて申し訳ないんだけれど、色々家族の同意とかが必要で、

手術当日も麻酔から覚めるまで付き添いが必要だと思う・・。

私には、頼めるのがお姉ちゃんしかいないから、

ごめんなさいだけれどもお願いできますか?」と言うと、

「分かったよ」とだけ返事をした後

「仕事はどうするの?」と私に聞きました。

先日職場の偉い人に報告して、頑張って続けなさいと言ってもらえた事を話しました。

 

後日、姉はある新聞の切り抜きを私にくれ

「これからは、がんを治療しながら働く時代だね」と励ましてくれました。

姉はとても聡明で、地元では憧れる人もいる程のキャリアウーマンでした。

もちろん、結婚してからも働き続け今に至っています。

 

私と姉の関係に関してここでは詳しく書きませんが、

いつかこのブログの中で紹介したいと思っています。

姉は私の永遠のソウルメイトです。

 

そして、姉は言いました。

「お母さんはどうするの?」

 

私の母は、もう高齢です。

父を亡くしてから、一人で生活しています。

私と母の関係に関しても、どこかでお話しできればと思っています。

 

「お母さんには一生言わない」

と私は決めていた事を姉に伝えました。

 

それに対して姉は、

「そっか」

とだけ、返事をしました。

 

私が母に病気の事を言わないのには理由があります。

関係が悪い訳ではありません。

実は、結核も患った事も言っていません。

なので、今でも母は私が乳がんに罹ったことを知りません。

母が私の病気を知る事はこれからもありません。

 

少しだけ母に「申し訳ない事しているのかな・・」と思う事もあります。

でも、母が知らなかったら、母の知る私は「乳がんではない」のです。

それで良いかな、と思っています。

 

そう言えば、私の父の肝がんが分かった時に

母は父の血液検査の結果を見て、

「お父さん、C型肝炎だったんだね・・知らなかったよ。」と

呟いていたのを思い出しました。

父は、母には言っていなかったんでしょう。

 

後は、当時ルームシェアをしていた友人にだけ言いました。

色々と迷惑をかけるだろう、と思ったからです。

その他の友人は、誰にも言いませんでした。

 

当時、恋人もいませんでしたので、結局私が病気を報告したのは

職場でどうしても知らせないといけなかった3名と姉、そして友人1人です。

 

私は、寂しい人間なのかな・・

自分ががんである事を知ってから、

ふっとした瞬間に頭をよぎる「私は淋しい人生をおくっているのだろうか・・」

という類の想いにどう対峙するか・・が一番しんどかった時間でした。

 

優しい姉と理解のある職場のリーダーがいてくれた事は、

まぎれもなく私は恵まれた人間である事の証明だという事は言うまでもありません。

 

ただ、結婚やパートナーとの生活をあきらめていなかった私にとって、

「がん」そのものより「乳房を失う」事への恐怖や喪失感に向き合わなくてはいけない

という現実が私をどんどん不安にさせました。

 

こういう時に限って、乳がん治療に関する情報を収集している時などに

 

「乳を失った女など、興味なし!」

「女はオッパイが命!!」

 

的なコメントを目にしてしまったりするもので、

どうしていいか分からない焦燥感に苛まれました。

そんな時だけは、毎回泣きたくなりました。

この先、恋愛も結婚もあきらめて生きて行く事を、

私は受け入れられるだろうか・・。

自分の事が怖くて、怖くて、仕方ありませんでした。

 

しかし、忙しい毎日はそんな私を助け、

「私を助けてくれる仕事を愛して頑張ろう」と自分を勇気付けていました。

実際、仕事は楽しく、多少の衝突やストレスを抱えていても、

その時はその仕事の存在に心から感謝していました。

 

ネットでの情報収集もなるべくしないように心がけ、

最低限治療上知って置きたい情報のみに絞る事にしました。

 

そうしている内に・・

自分の中に2人のキャラクターが同居している事に気が付きました。

1人目は「病気」になった現状を嘆く悲劇のヒロイン。

この人は不安を自ら作り出し、

その中にどっぷり漬かる事である意味周囲から身を守っているようでした。

このキャラクターは割に自分が物心付いた時から私の中に住み始めているので、

‟古株代表・お局様mirai”と言って良いでしょう。

 

2人目は「この経験を乗り越えて人生のネタにしよう!このプロセスを楽しもう!!」

とワクワクしている超ポジティブお嬢さん。

結核を患った頃に誕生したと思われます。

結核が発覚した時には、仕事がちょうど興味深いプロジェクトに関わり始めた頃で

「さあ!これから夢を叶えるぞ!!」と思っていたその矢先に、

海外の職場まで電話がかかって来て背中が凍る思いをしました。

「肺に陰影があるらしく・・」と電話の向こうで職場の同僚が申し訳なさそうに、

「とにかく精密検査を強く勧められ職場に連絡が来たんです。」

という連絡でした。

 

「は、肺ガン・・・」と直近の帰国まで不安に苛まれた日々を送り、

出た診断が「結核」だったのです。

この時に真っ先に感じたのが

「国際的な仕事している人っぽい病気に罹った」と喜んでいる自分に気が付いたのが、

この‟超ポジティブお嬢さんmirai”の存在に気が付いた最初の時でした。

 

自分のプロフィールに「結核治療を経験」と書けるっていいかも、

と思いながら、その治療プロセスを楽しんでいました。

もちろん、医療的には様々な危険を伴う感染症ですから

油断を許さない事も事実ですし、半年間の内服治療が終わろうか・・と言う頃、

画像の陰を見ていた医師から「もしかしたら、薬物耐性型の結核の可能性が・・」

と言われた時は、「えーーっ!」とどん底に沈みました。

 

結果、治療の効果が一過性に影を濃くしただけだったらしく、

現在はレントゲンを撮ると普通に「陳旧性結核」と書かれます。

 

話しは逸れましたが、この乳がんの治療も「人生の糧になる」

と言う気持ちが少し芽生えており、「色々経験出来そうだから楽しもう!」

と思うようになりました。

 

さあ、この内なる2人の同居人と一緒に歩く

「打倒!乳がん」の道のりは始まったばかり。

毎夜、タバコをふかしながら夜空に向かって、

「流れに身を任せるしかないな」と思いながら手術までの日々を過ごしていました。

 

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喫煙と手術、喫煙と乳がん

みなさん、こんにちは

miraiです。

 

前回、乳がんの確定診断を受けてから手術前の形成外科受診で「禁煙の脅迫」

を受けたお話をしました。

empowerme.hatenablog.com

 

色々なパターンはあるかと思いますが、乳腺全摘+同時再建術を選択すると

乳腺外科だけでなく乳房再建に関わる形成外科の専門の医師が治療に加わる事が

多いと思います。

前回のお話では、この形成外科の先生にシコタマ「禁煙しないと手術しない!」

と脅されたお話を紹介しました。

 

当時の私がこの女医さんの圧力のある説明(だけではないですよね)から

正直に感じた気持ちは、「これ、半分脅しだな」でした。

乳がんを宣告され、余命への不安や乳房を失う人に向かって

「禁煙しないと手術しない」とまで言うんです。

 

「この様なきついご忠告は私の為を想って言ってくれているんだから、

ポジティブに受け止めなくちゃ」と全ての人が前向きに受け入れ、

今後の長い治療の道のりに臨む事が出来れば、問題ありません。

 

個人的には、もう少し言い方というか、

アプローチの仕方があるのではないかな・・と思います。

「喫煙者の方で皮膚治癒不全や術後の創感染率は、非喫煙者に比べて〇%高いので、

その合併症のリスクが高まる事を理解して置いて下さい。

統計によると、再発リスクも〇%高まるとも言われていますので、

医師としてはこれを機に禁煙する事をお勧めます。」

くらいに収めて話せないものでしょうか・・。

 

医師にとっては、大勢の中の一人の患者かもしれませんが、

‟こっちは、色々パニックなんですよ。”

―――と言いたくなりました。

 

私にとってはもう過去の事ですし、無事色々と乗り越えてここまで生かして

戴きましたので、「こんな事言われたな・・」とこうしてお話する事は出来ますが、

もし、現在同じ様な境遇にいる方が抱いているモヤモヤする気持ちには

心から共感できます。

 

治療を受ける患者の側からすると、この医療専門家側の理屈は簡単に言えば

こういう事なのでは?と推測します。

「健康リスクが高い事を知り、且つ/もしくは、医師からも禁煙を勧められているのに

も関わらず喫煙を続け、その結果引き起こした病気の治療、

もしくは合併症ハイリスクを伴う高侵襲の治療はしたくありません。」

 

まあ、理屈で言えば食事制限を全く受け入れられない人の糖尿病の治療はしません、

みたいな感覚と同じなのでしょうが・・

 

結論、禁煙出来る人は止めてしまった方が色々楽ですし、

禁煙出来ない人はそのまま治療に臨むしかありません。

 

タバコと健康への相関関係と言いますか、タバコの身体への影響については、

色々な場面で色々な情報に触れていると思います。

今現在、医療界でのトレンドは「喫煙者を減らす」方向で進んでいます。

喫煙を理由に手術を断るケースも増えて来ているのも事実です。

 

喫煙によって体内に取り込まれる様々な物質によって

身体機能が健常な状態から不健常な状態になるので治療の成績が上がりません、

という事のようです。

今では、統計データがある程度揃ってきているので、

それをエビデンスにしたステートメントが様々出されています。

 

参考リンク①:禁煙と全身麻酔について:独立行政法人 労働者健康安全機構 青森労災病院

参考リンク②:

www.hospital.asahi.chiba.jp

 

では、長年禁煙してきた人が術前の1ヵ月程度禁煙して、

合併症のリスクがどれだけ減らせるか?と疑問に思いますよね。

 

それに関しては麻酔科学会がガイドラインを出しています。

 周術期禁煙ガイドライン:公益社団法人 日本麻酔科学会(2015年)

 

「周術期」と言うのは、術前、術中、術後の一連の期間の事を指します。

詳しくは読んで頂けると良いと思いますが、一応科学的なエビデンス

要するに「喫煙が手術に悪い影響を与える理由」が解説されており、

「手術前短期禁煙にも意味がある」について理解を促す内容になっています。

 

このガイドラインでは「術前短期禁煙」を「2~4週間前」と説明されています。

約半月から1ヶ月という事ですよね。

「この短い期間の禁煙でも合併症は増加しない」と説明をしています。

ちょっとトリッキーな表現ですよね。

「短期禁煙でも合併症が減少した」と言ってもらった方が

理解し易いですが、その様には書いていません。

 

更に、禁煙期間が4週間以上と長くなれば「術後呼吸器合併症は減少する」

としていて、医療者側としては最低でも4週間は禁煙期間を設けるよう

ある基準を持っていると理解しても良いかもしれません。

 

また、喫煙による皮膚治癒過程への影響についても同ガイドライン

説明をしています。大事な内容だと思いますので、引用します。

 

術前禁煙は、消化器手術、骨折手術、乳がん手術などにお いて術後合併症

の発生頻度を減少させる。以上のような術前禁煙による様々な効果が

多くの臓器にもたらされるが、最も顕著なものは創治癒への影響である。

 

 一方で、乳がんと喫煙の関係はどうでしょうか?

 

ここでは、日本乳癌学会の見解を中心にご紹介します。

結論、「喫煙と乳がんには相関があり、喫煙者の乳がん発病率、再発率が上がる」

と報告しています。

 

参考リンク:

jbcs.gr.jp

 

詳細は、サイト内を読んで頂けると良く理解できますが、

タバコには多くの発がん物質が含まれているが、

国際がん研究機関(IARC)による発がん性評価によると、

乳がんと喫煙との相関関係に対しては

明確に相関関係を限定する内容にはなっていないようです。

ですが、乳癌学会は様々な研究結果を複合的に評価した結果、

「喫煙(受動喫煙を含む)が乳がん発生率を高める事は確実である」

と結論付けているようです。

 

加えて、某A新聞の記事を紹介する以下のような見解もあります。

タバコを吸う閉経前の女性は乳がんになりやすい(クリニークアンジェ牧山内科)

 

 また、同学会は「喫煙者は再発リスクも高くなる」と報告をしています。

jbcs.gr.jp

 

周囲の多くの人たちは癌になった時点で「禁煙しなさい」と言って来ます、

という事を理解して置くことも役に立つかと思います。

 

さて、私は喫煙者で乳腺全摘+再建術を経験しました。

この「合併症」はどうだったのか?

次々回くらいにはお話しできるかもしれません。

 

次回は、入院までの日々で私が向き合った色々についてお話ししようと計画しています。

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