*⁂*乳がんと私-病が導いた本当に望む「人生」との出会い-*⁂*

乳がんを宣告されて今年で6年目。看護師である私の闘病体験を通して、自分らしさや女性としての生き方について考える時間を提供します。

乳がんと仕事と人生と

みなさん、こんにちは。

miraiです。

 

前回は「喫煙」が乳がんにどの様に影響するか、というお話をしました。

色々と根拠となるサイトの紹介もありますので、

気になる方はご覧いただければと思います。

empowerme.hatenablog.com

 

今日は、入院までどう過ごしたかと入院までの経験を共有します。

このお話は前々回、「形成外科の女医さんから、きつーく禁煙を約束させられた・・」

というお話の続きです。

 

当時、私は「禁煙」は無理、と思い込んでいましたし、

「私から唯一のストレスリリース剤を手放すなんて!」とも考えていましたので、

結局、その日からも依然と同じようにタバコを吸っていました。

(1日の本数は多くて5本くらいでしたが)

 

そして、どの様に周知するか、仕事をどうするか・・などで頭の中が一杯でした。

当時、私は仕事で責任のある立場にいましたし、

自分の担当するプロジェクトを遂行するために海外と日本を激しく

行き来していました。日本にいても海外にいてもスケジュールは過密で、

それが私の幸せでもありました。

仕事を楽しんでいました。

 

手術は4月に決まっていましたが、その時も全部スケジュールが埋まっていて

欠席できないミーティングやイベントなどが気になっていました。

「病気が病気なだけに、退職を勧められるかな・・」という不安もありましたが、

どちらにしても、手術やその後の治療が仕事に影響するため

黙っている訳にもいきません。

 

考えた挙句、当時所属していた仕事先の一番のリーダーに最初に報告しました。

恐れ多くも一対一の面談を申し込み、

そのリーダーは「じゃあ、せっかくだから食事しながら聞くよ」と言って

近くの焼き鳥屋さんに連れて行ってくれました。

私が、自分の病気を報告し、今後どうして行きたいかを正直に話すと

「今まで通りに頑張ったらいい」と、あまり直接病気の話に踏み込まず、

仕事の話を中心にその場は進みました。

 

それは、私に希望を持ち続けさせる報告会になりました。

どうなるかは分からないけれど、

「仕事に支障が出ない様に病気と付き合って行こう」と

マインドセットする事が出来ました。

 

次は家族です。

今、私には母と姉がいます。

父は私が30代前半の時に他界しました。

年子の妹もいましたが、父が他界して数年後にこの世を去りました。

 

もし手術の同意書への家族の署名と当日の付き添いが必要なかったら、

誰にも言わなかったかもしれません・・。

いや、それでも姉には伝えたかな。

姉はその前の年に癌の手術を経験しています。

 

結果、姉に報告して協力をしてもらう事にしました。

「どうも、乳がんになったっぽい。

まだ初期だから手術と内服治療で寛解を保てると思うけど。」

と単刀直入に報告しました。

「迷惑をかけて申し訳ないんだけれど、色々家族の同意とかが必要で、

手術当日も麻酔から覚めるまで付き添いが必要だと思う・・。

私には、頼めるのがお姉ちゃんしかいないから、

ごめんなさいだけれどもお願いできますか?」と言うと、

「分かったよ」とだけ返事をした後

「仕事はどうするの?」と私に聞きました。

先日職場の偉い人に報告して、頑張って続けなさいと言ってもらえた事を話しました。

 

後日、姉はある新聞の切り抜きを私にくれ

「これからは、がんを治療しながら働く時代だね」と励ましてくれました。

姉はとても聡明で、地元では憧れる人もいる程のキャリアウーマンでした。

もちろん、結婚してからも働き続け今に至っています。

 

私と姉の関係に関してここでは詳しく書きませんが、

いつかこのブログの中で紹介したいと思っています。

姉は私の永遠のソウルメイトです。

 

そして、姉は言いました。

「お母さんはどうするの?」

 

私の母は、もう高齢です。

父を亡くしてから、一人で生活しています。

私と母の関係に関しても、どこかでお話しできればと思っています。

 

「お母さんには一生言わない」

と私は決めていた事を姉に伝えました。

 

それに対して姉は、

「そっか」

とだけ、返事をしました。

 

私が母に病気の事を言わないのには理由があります。

関係が悪い訳ではありません。

実は、結核も患った事も言っていません。

なので、今でも母は私が乳がんに罹ったことを知りません。

母が私の病気を知る事はこれからもありません。

 

少しだけ母に「申し訳ない事しているのかな・・」と思う事もあります。

でも、母が知らなかったら、母の知る私は「乳がんではない」のです。

それで良いかな、と思っています。

 

そう言えば、私の父の肝がんが分かった時に

母は父の血液検査の結果を見て、

「お父さん、C型肝炎だったんだね・・知らなかったよ。」と

呟いていたのを思い出しました。

父は、母には言っていなかったんでしょう。

 

後は、当時ルームシェアをしていた友人にだけ言いました。

色々と迷惑をかけるだろう、と思ったからです。

その他の友人は、誰にも言いませんでした。

 

当時、恋人もいませんでしたので、結局私が病気を報告したのは

職場でどうしても知らせないといけなかった3名と姉、そして友人1人です。

 

私は、寂しい人間なのかな・・

自分ががんである事を知ってから、

ふっとした瞬間に頭をよぎる「私は淋しい人生をおくっているのだろうか・・」

という類の想いにどう対峙するか・・が一番しんどかった時間でした。

 

優しい姉と理解のある職場のリーダーがいてくれた事は、

まぎれもなく私は恵まれた人間である事の証明だという事は言うまでもありません。

 

ただ、結婚やパートナーとの生活をあきらめていなかった私にとって、

「がん」そのものより「乳房を失う」事への恐怖や喪失感に向き合わなくてはいけない

という現実が私をどんどん不安にさせました。

 

こういう時に限って、乳がん治療に関する情報を収集している時などに

 

「乳を失った女など、興味なし!」

「女はオッパイが命!!」

 

的なコメントを目にしてしまったりするもので、

どうしていいか分からない焦燥感に苛まれました。

そんな時だけは、毎回泣きたくなりました。

この先、恋愛も結婚もあきらめて生きて行く事を、

私は受け入れられるだろうか・・。

自分の事が怖くて、怖くて、仕方ありませんでした。

 

しかし、忙しい毎日はそんな私を助け、

「私を助けてくれる仕事を愛して頑張ろう」と自分を勇気付けていました。

実際、仕事は楽しく、多少の衝突やストレスを抱えていても、

その時はその仕事の存在に心から感謝していました。

 

ネットでの情報収集もなるべくしないように心がけ、

最低限治療上知って置きたい情報のみに絞る事にしました。

 

そうしている内に・・

自分の中に2人のキャラクターが同居している事に気が付きました。

1人目は「病気」になった現状を嘆く悲劇のヒロイン。

この人は不安を自ら作り出し、

その中にどっぷり漬かる事である意味周囲から身を守っているようでした。

このキャラクターは割に自分が物心付いた時から私の中に住み始めているので、

‟古株代表・お局様mirai”と言って良いでしょう。

 

2人目は「この経験を乗り越えて人生のネタにしよう!このプロセスを楽しもう!!」

とワクワクしている超ポジティブお嬢さん。

結核を患った頃に誕生したと思われます。

結核が発覚した時には、仕事がちょうど興味深いプロジェクトに関わり始めた頃で

「さあ!これから夢を叶えるぞ!!」と思っていたその矢先に、

海外の職場まで電話がかかって来て背中が凍る思いをしました。

「肺に陰影があるらしく・・」と電話の向こうで職場の同僚が申し訳なさそうに、

「とにかく精密検査を強く勧められ職場に連絡が来たんです。」

という連絡でした。

 

「は、肺ガン・・・」と直近の帰国まで不安に苛まれた日々を送り、

出た診断が「結核」だったのです。

この時に真っ先に感じたのが

「国際的な仕事している人っぽい病気に罹った」と喜んでいる自分に気が付いたのが、

この‟超ポジティブお嬢さんmirai”の存在に気が付いた最初の時でした。

 

自分のプロフィールに「結核治療を経験」と書けるっていいかも、

と思いながら、その治療プロセスを楽しんでいました。

もちろん、医療的には様々な危険を伴う感染症ですから

油断を許さない事も事実ですし、半年間の内服治療が終わろうか・・と言う頃、

画像の陰を見ていた医師から「もしかしたら、薬物耐性型の結核の可能性が・・」

と言われた時は、「えーーっ!」とどん底に沈みました。

 

結果、治療の効果が一過性に影を濃くしただけだったらしく、

現在はレントゲンを撮ると普通に「陳旧性結核」と書かれます。

 

話しは逸れましたが、この乳がんの治療も「人生の糧になる」

と言う気持ちが少し芽生えており、「色々経験出来そうだから楽しもう!」

と思うようになりました。

 

さあ、この内なる2人の同居人と一緒に歩く

「打倒!乳がん」の道のりは始まったばかり。

毎夜、タバコをふかしながら夜空に向かって、

「流れに身を任せるしかないな」と思いながら手術までの日々を過ごしていました。

 

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